至福の瞬間

皆さん、お久し振りです。
お元気ですか?
たまにアクセス解析をチェックすると今でも本館以上に毎日たくさんの方が訪問して下さっているのが分かり、申し訳ないと思いつつもとっても嬉しくなります。
ヲタクイズムの方もご覧になられている方はご存知かと思いますが、私はすこぶる元気です。
参戦回数減るかもしれないと書いておきながら昨年のドームコンは勿論の事、今年の「ザ少年倶楽部」公開録画は番協と観覧で二度とも参加いたしました。初めてのツアーも横浜に参加予定です。
レポを書く時間が全く取れずに何ひとつお伝え出来ないのが心苦しいのですが、どうかお許しください。


もうしばらくは更新しないつもりでした。
しかし、どうしても今日この場所でお伝えしたいことがあり、こちらのidでログインしてます。


本日発売されたPOTATO4月号の読者ページ「おしゃべりポテト」内の「似顔絵チャンピオンシップ」と言うコーナーにて、私の投稿したイラストを中島裕翔くんに選んでいただきました。
昨年このコーナーのタイトルが変わったのですが、前タイトル「P's似顔絵グランプリ」の頃も通して裕翔が登場したのは今回が初めてです。
以前からいつか裕翔に番が回ってきた時には送りたいと考えていました。
1月号から裕翔のイラストの募集が始まり、描こうと思いながらも色々と忙しく時が過ぎていき、ふと気付いたのが1月31日の事でした。
この時点で順番からいって裕翔が4月号に登場する可能性が非常に高く、取材はおそらく2月の中旬までには終わるはずで〆切にもう間に合わないんじゃないかと危惧したのですが、後悔したくなかったのでその日に徹夜して描きあげました。
多分下書きから仕上げまで最短だったと思いますが(4時間半)机の周りを裕翔尽くしにして今までで1番心を込めて描きました。
次の日に急いでスキャンしてから防水の為封筒に入れて速達郵便で発送しました。
かなり慌てていたせいかスキャン画像の端が切れていたのに気付いたのは送った後でした。
実は、恥ずかしながらほぼ毎晩取材に間に合うよう、裕翔に届くよう、祈ってました。


そして今日3月7日、こんなに緊張して本屋に入るのは初めてでした。
すぐに3誌の売り場には行けなくて、まだチェックしてなかったTV誌やoricon styleのHARUKO記者会見やらドラマの宣伝ページを立ち読みしてから最後に向かいました。
思い切って手に取ったPOTATOを後ろの方からパラパラとめくっていき「おしゃべりポテト」のページを開くと、突如目に飛び込んでくる見慣れたイラスト。
いつも掲載されてる場所じゃないのであまりに不意打ち過ぎます・・・。
裕翔のコメントを全部目を通してからレジに並ぶ最中もずっと手の震えが収まりませんでした。
家に帰ってから母に見せてひとしきり興奮した後は、急に全てが夢のように思えてきてアンビリーバボーな気分になりました。
夜になってようやく心の落ち着きを取り戻せてきましたが、今も不思議な感じがします。
裕翔が私のハガキを手に取ってくれたこと、こだわった細かい部分までよく見てくれたこと、気に入ってもらえるかな?と思って描いたスティックを「うれしい」と言って決めてにしてくれたこと、その全てが嬉しくてたまらなくて最上級の幸福感に満たされてます。
ボタンを開けてるのがオシャレの為じゃなかったのは予想外だったけど(笑)選んでいただき光栄です!ファン冥利に尽きます。


ユートピアでは主に記念日にイラストを描いてアップし、その度に皆さんからあたたかな反応を頂いて参りました。
昨年初めて3誌に投稿してボツってしまった誕生日イラストにもそれまでと同じように感想を送って下さり、すごく励まされました。
今回の投稿もそういった皆さんの声があったからこそ諦めずに気合いを入れて描けたのだと思います。
ユートピアをお休みしていても私が裕翔を想う気持ちはずっと変わらないことを伝えたい、それが実現出来たのも喜びのひとつなのです。


「ゆめ」と言うペンネームで分かりにくかったろうにも関わらず、気付いてお祝いメールを下さったり一緒に喜んで下さった皆さん、そして今この記事をご覧頂いているあなた、本当にどうもありがとうございます!
また私はここを離れて旅に出ますが、この幸せをパワーにして今まで以上に頑張って自分の人生をより良いものにしていきたいです。
裕翔への愛を育みながら。
みんなの未来が輝かしいものであるよう願いながら。

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中島裕翔くんを紹介します

1993年(平成5年)8月10日生まれの東京都出身、獅子座のA型。
“裕翔”には「夢に向かって羽ばたけ」と言う意味が込められているそうです。
今現在身長168cm・体重47kgで日々ぐんぐんと成長中。
頭(顔)が小さく華奢でスタイル良好、優しい目元と柔らかい表情が印象的です。
髪型は元々愛らしいクセ毛だったものの「キャベツみたい」だと嫌がっており、2006年の秋から定期的にストレートパーマをかけるようになりました。(パーマがとれかかっていてたまにふわふわヘアがお目見えできます)
本人の言うチャームポイントは初めの頃はママさんの勧めもあってまつ毛だったんですが、今は憧れの滝沢くんと同じ泣きボクロ(左目の下)と答えていて自分でも気に入っているようです。
ちなみに、特徴的なハスキーボイスも嫌いじゃないみたいです。
性格はJr.に入った頃に話していた通り好奇心旺盛で、撮影現場の小道具を遊び道具にすることもしばしば。
楽屋を片付けていないメンバーを叱るとのエピソードからはキレイ好き・正義感の強さ等が伺えます。
好きな食べものは馬刺し・レバ刺し・手羽先・馬のたてがみ、洋菓子より和菓子が好きと言う今時の子供らしからぬ渋い好みです。どちらも祖父母の影響が大きいです。
嫌いな食べものは昨年バナナを克服して今は「しめじ」だけ、あのプリプリ感が耐えられないそうです。
趣味はレゴブロックと映画鑑賞。
小1の時にサンタさんからプレゼントされてからレゴにハマり、雑誌の撮影でもよく使用させてもらっていました。
最近は忙しい上にギターやドラムと言う音楽的嗜好も新たに増えてなかなか制作出来てないようですが、中学に入ってからも中1の夏にちょっと早い誕生日プレゼントとしてママさんに新作のレゴを買ってもらったりと冷めずにいると思われます。
高木くんが海外へ行った時におみやげに買って貰ったレゴは既に持っていたもので(それでも「嬉しかった」と言ってました)かなりのコレクターのようです。
映画に関しては週に1本のペースで見ていると言っていた時期もあるほど!(DVD含む)
スター・ウォーズ」「ハリー・ポッター」などCGを駆使したSFやファンタジー系統を強く好んでいますが、ジャンルにこだわらず色んなものを見ているようでJr.のメンバーとも見に行ったそうです。
ホラーものでは一緒に行った山田くんに抱き付き、山田くんとABCの塚田くんと一緒に見に行った感動もの(多分「しあわせのちから」)では泣いてしまったと話していました。
いつか「ハリー・ポッター」のような映画にも出演してみたいしハリウッドにも進出したいなんて事を話してました。
ちなみに、ハー・マイオニーがお気に入りと言う事を伊野尾くんに暴露されてました。
特技は当初体がやわらかいこと(えびぞり)を全面に押してましたが動物の鳴き真似も追加され、先輩方(亀梨さんや赤西さん)の顔真似も加わったものの、最近は昨年末から始めたドラムと答えています。
家では練習用を叩き、学校では本物のドラムセットを気持ち良く叩き、日々腕をあげているようです。(ギターも今年お年玉で購入したそうで、今も弾けると思われます)
マッサージも得意でツボを心得ているらしく、肩だけでなく腰から背中まで幅広く出来るそうです。(亀梨さんに褒められた経験アリ)
入りたての頃はローラースケートも得意だったと話しており、テレビでのお披露目はなかったもののレッスン中に滑りながら踊るのが楽しいと言っていました。
ドラマで共演した木村さんに伝授されたムーン・ウォークも上手で、曲中にたまに取り入れています。
また無類の“虫”マニアとしても知られ、豊富な知識を持ち合わせています。
メダ・トカゲ・オウゴンクワガタ・・・など、飼っていた(る)生き物も多種多様です。
自然をこよなく愛し外で活発に動くのが大好きで、自宅の裏にある野うさぎも出現すると言う森に秘密基地を作ってよく遊んでいたそうです。
習い事は小1からJr.の活動が忙しくなるまで空手をやっていて4級まで持っており、「ズームイン!!SUPER」(2005.8.23)の生放送中に型を披露したこともあります。(基本がなっていて素早い動きが巧かったです)
よく鼻をつまんだりこすったりしていますが、2004年にKAT-TUNのコンサートで初めて遠征した大阪の旅館でハウスダストにやられてからアレルギーになってしまい常にどちらかの鼻が詰まっていて辛いそうです。頭を振るのもクセになってます。(多分無意識だと思いますが)
小さい頃の夢は、人の助けになりたいと言う想いから「レスキュー隊」でした。
好きな言葉は“あきらめない”。
「あきらめなければ何でも出来そうだから」だそうです。


家族構成は父・母・弟の4人。
誕生日を忘れられたり父の日に何も出来なかったり…と不憫なエピソードの多かったパパさんはママさん曰くイケメンだそうで、それを裕翔の可愛さの理由としてあげられていた事から父親似のようです。
パパさんの実家が青森なんだそうで色白な肌も遺伝なんじゃないかと思います。
中学校入学の際にお祝いにもらった白のG-SHCOKは今でも雑誌の取材時に身に付けていて大切にしています。
滝沢さんのファンでジャニーズに入るきっかけを作ってくださったママさんはしょっちゅう雑誌にも登場していて、仲良し母子である事が手に取るように分かります。
マーマレードの匂いがするスペアリブ・フェットチーネなど凝ったメニューも多い手料理はとても上手で美味しいそうです。
替え歌を作るなどユーモラスな一面もあり、お仕事が決まった時は声が1オクターブあがっちゃうくらい喜んでくれて優しいママさんは、中1にして「誇りに思っている」と言うほど自慢の母親なんだそうです。
ちなみに今現在も「ママ」と呼んでいます。(パパさんは不明)
ぷにぷにほっぺが愛らしい6歳違いの弟くんをとても可愛がっていて、今も同じ部屋で過ごしてます。
最近キーボードを始めたそうで音楽に興味を示しているようですが、ジャニーズに入る気は今のところないようです。(兄としては森本兄弟に続く中島兄弟もまんざらではない様です)
2005年まではクリスマス前に家族旅行に行き軽井沢などでスキーを満喫するのが恒例行事だったので、中級コースも滑れるそうです。
毎年クリスマスは旅行から帰ってきて寝て朝起きると枕元にサンタさんからのプレゼントが置かれているのが楽しみでした。
しかし中1の冬に友達からサンタさんの存在を否定されて「いなかった」ことを知りショックを受けたそうで、その後のクリスマスプレゼントの行方は分かりません。
たまに雑誌に出て来る桜肉のお店に連れてって馬刺しの美味しさを教えてくれた“おじいちゃん”とおせち料理のチョロギが上手でコンサートも見に来てくれている“おばあちゃん”は母方の祖父母で、1人娘であるママさんの孫2人を溺愛しているのだと思われます。
中島家はたくさんの愛が溢れていて、皆さんが裕翔をバックアップし全力で応援して下さっていることが伺えます。
それが彼の活力に繋がっているに違いありません。


そんな彼がジャニーズ事務所に入ったのは小4の春休み中にオーディションを受けた2004年3月28日の事でした。
何も知らないうちに履歴書を送ったママさんと会場に行かされ、「何ココ?」と不安に思いながらも無事合格。
その日のうちにユニット(多分J.J.Express)としてのリハーサルが始まったそうです。
その約1週間後の2004年4月5日に生放送された「HEY!HEY!HEY!SP」のタッキー&翼さんのバックで最前センターと言う絶好のポジションに付き早くもテレビ初出演を果たしました。
その2日後に行われたBS2「ザ少年倶楽部」の収録ではマイクを持ち、新ユニットJ.J.Expressの一員として『剣の舞』を歌い踊りました。
その『剣の舞』を交えながら登場した4月23日に生放送された「ミュージックステーション」でタッキー&翼のバックに付いた時は、曲終了後のCM前の繋ぎで滝沢さんに剣で斬られる振りをした後にお姫様抱っこをされると言うサプライズがあり一躍注目の的となりました。
雑誌初登場は5月7日に発売されたDuet・Wink up・POTATOで、当時は身長140.9cmで体重31kg。ちっちゃな男の子でした。
初めから目標の先輩は滝沢さんだったのですが、POTATOのみ「タッキー」呼ばわりをしちゃってるのは大変貴重だと思います。
同月24日発売のMyojoでは初登場にして初表紙を飾り「あの可愛い男の子は誰?」と言うような問い合わせが殺到したそうです。(編集者様談)
テレビ東京系「Ya-Ya-yah」にも毎週のように出演し始め、テレビにしても雑誌にしても新人としては異例の扱いを受ける彼の知名度は上昇し続けます。
しかし慣れないことの連続に実力が伴わない中で前に立たされた為にミスも少なくなく、着替えが遅れた生放送の後には先生に「Jr.やめろ」と言われ泣いたこともありました。
先輩に励まされて余計に止まらなくなった涙の数だけ、きっと努力を重ねていったのだと思います。
初めてのコンサート出演は7月3日・4日に開催されたタッキー&翼「滝翼22才春魂」で、以後も多くの先輩方のコンサートにバックダンサーとして出演しました。
8月8日〜29日までに行われた舞台「“SUMMARY”of Johnnys World」(原宿ビッグトップ)では初めての長丁場となったお仕事に「体力の限界」を感じた時もあったそうですが、うさぎ役でマスコット的な可愛さを見せながら個人名で紹介されるほど多々ある出番を堂々とこなし続け、ひとまわり成長できたことと思います。
「ザ少年倶楽部」では中丸さんと「ナカナカいいじゃん」と言うコーナーも任されました。
夏頃から毎週のように出続けた「Ya-Ya-yah」ではスタジオ・ロケ問わず好リアクションを連発。
数々の名言を残し、ただ可愛いだけではなくバラエティ適応力の高さをも証明しました。
テレビで初めて涙を見せたのもこの番組での罰ゲームでした。(ドリフト走行の車に同乗)
こうして各番組でポジションが確立されてゆき、Jr.1年目とは思えないほどの活躍が目立ちました。
TOKIOさんのシングル『自分のために』(2004.11.17発売)でPV初出演。
転校する女の子に恋する城島さんの幼少時代の初々しい役どころを演じてくれました。
ちなみに監督の松岡さん曰く、誰かこの役にふさわしいJr.がいないかと社長に相談したところ裕翔を勧めてくださったそうです。
2005年は新年So-Soh1月2日にYa-Ya-yah初の単独コンサート(横浜アリーナ)に出演。
その直後から2ヶ月間は「endless SHOCK」(帝国劇場)の舞台にも初めて立ちました。
共演者の黒木メイサちゃんに好意を持ち写真を撮りたい話したいと言う願望があったものの、バレンタインデーに何も貰えず落ち込んだ…なんて事も今となっては良き思い出になっているでしょう。
当時は乳歯がまだ残っていて雑誌の撮影中に抜けそうになり(duet3月号)その次の号からは歯が抜けた状態が誌面やピンナップに映るようになり、徐々に生えていく様子が掲載されていったのでした。
早春には当時1番仲良しだった有岡くんと連続ドラマ初出演が決定しました。
フジテレビ系の月9、それも事務所の大先輩であるSMAP木村さん主演の作品「エンジン」(2005.4〜6)。
本格的な演技初挑戦にしてlap1(第1話)からフィーチャーされる“草間周平”役を懸命に演じました。
いつも赤を取り入れている衣装が印象的で、親に3回捨てられて施設に預けられた故哀愁を帯びひねくれている性格ながら天使のような愛くるしさを持ち合わせていて、時折見せる笑みが印象的でした。
毎回夕食として用意された食事はどれも美味しく、年の近い共演者が多かった現場はとても楽しかったそうです。
撮影が終わってしまうのが悲しく、クランクアップの際には感極まって泣いてしまいました。(この模様はDVD-BOXの特典DISCに収録されています)
打ち上げでは木村さんと出演者の皆さんで「世界にひとつだけの花」を歌ったことが大きな思い出だそうです。
抽選大会では春海役の戸田恵梨香ちゃんがゲーム機を当ててくれたものの、既に持っていた種類だったので弟に譲ったと言ってました。
また、木村さんへテレビ誌の切り抜きを貼り直筆のメッセージを綴った色紙を個人的にプレゼントをしていたと言う事が木村さんのラジオで発覚しました。感謝の気持ちを形にして伝えたかったようです。
ドラマ撮影終了後の7月には少年隊さんの舞台「PLAY ZONE」(に出演し、今はJr.として活動している植草さんの息子さんである裕太くんをちょこっと演じたそうです。
同時進行で「SUMMARY2005」(NEWS・Ya-Ya-yah両ver./品川ステラボール)のリハーサルもあり、思うようにレッスンがはかどらず満足のいくパフォーマンスが出来なかったと悔やんでいました。事実振り抜けもいくつか見受けられました。
しかし1日4回公演だったYa-Ya-yahの「SUMMARY」では公演時間が短いながら初めてのフライングにも挑戦したりと4人に次いで見せ場が多く、与えられた役割を精一杯務めていました。
幾多のメンバーチェンジを繰り返し続けたJ.J.Expressが増員され9人体制となったのもこの公演がきっかけです。
その後、実話が基となっている8月27日放送の日本テレビ恒例24時間テレビスペシャルドラマ「小さな運転士・最後の夢」では実質主演である“西田朋久”役に大抜擢。
木村さんに続いてSMAPのメンバーのくさなぎさんとの共演も話題を呼びました。
9歳から16歳までの7年間を母の死を経て自分の病魔と闘い続けながら持ち続けた江ノ電の運転士になると言う夢を諦めずに最後に実現させた少年役を真っ直ぐに演じ切り、多くの視聴者に感動を与えました。
また、同枠では史上最高の視聴率26.6%を記録。歴史に名を残しました。
こうして怒涛の夏が過ぎ、秋には日本テレビ系「野ブタ。をプロデュース」(2005.10〜12)に先輩である亀梨さんの弟役である“桐谷浩二”役として2度目の連ドラ出演を果たしました。
高校がテーマであるものの毎週必ず1シーンは出番があり、家のお手伝いをしっかりする様子や学園祭ではしゃぐ姿、キュートなパジャマ姿に初のデコ出しにも挑戦…と色んな見所がありました。
女の子と手を繋ぐと言う初体験はこのドラマの第3話で実現し、相手が掘北真希ちゃんだった事は大いに自慢出来ると思います。
そしてドラマの主題歌となった修二と彰の『青春アミーゴ』(2005.11.2発売)のPVにも出演。
センターで2人を引き合わせる重要や役割を担い、音楽番組にも数多く出演し視聴者の方々の目を惹きました。
この頃から前列に抜擢され始めた同い年の山田涼介くんと仲が良くなり、一緒に帰るようになったようです。
話が前後しますが、ドラマがスタートした10月の22日にはタッキー&翼初となる出雲でのコンサートのバックに出演。過去最長の遠征となりました。
お二人が寝泊まりする旅館が竹内まりやさんの実家であった為にJr.コーナーではJ.J.Express(事実上メンバーでなかった山田くんも加えた10人体制)で『元気を出して』を歌ったりMCで喋らせてもらえたりと、ドラマで忙しかったはずでありながら普段よりJr.の人数が少なかった分出番も多々あったようです。
更にはベネッセコーポレーション「進研ゼミ中学準備講座」でCMに初挑戦!(2005.10.24よりOA開始)
実年齢と同じ小学六年生の男の子役で、今のサイズよりも大きめの学ランを試着させられ「これ、デカくない?」と不思議がる台詞が可愛らしく印象的な内容でした。
当時の中学準備講座の受講推進冊子にも写真が掲載され、翌年初旬まで放映され続けました。
年末には憧れの滝沢さん初のソロコンサート「ありがとう2005さようなら」(2005.12.23&25)の大阪・横浜会場全4公演に出演。
滝沢さんへのお手紙をたった1人で読むと言う大役を果たすなど出雲に続き多くの見せ場が設けられていて、家族とゆっくり過ごせなかったものの充実したクリスマスを過ごせたのではないかと思います。
2006年はKAT-TUN&関ジャニ∞主演ミュージカル「DREAM BOYS」(2006.1.3〜1.29/帝国劇場)に物語の鍵を握るユウタ役として休む事なく全公演に出演、本格的な舞台デビューを果たしました。
台詞が多く複雑なキャラクターの役作りにはとても悩んだそうですが、先輩方に励まされ楽しんで演じられるようになったそうです。
兄役を演じられた渋谷すばるさんにはホントの弟のようになついていたらしく、今でもメールのやりとりが続いていて可愛がってもらっています。
ボクサーだった兄を強く慕う病弱な少年を熱演しながら、メインを張ったタップダンス・1フレーズながらたった1人での歌唱・亀梨さんからのむちゃぶりアドリブ等様々なシーンで生き生きとした姿を見せてくれました。
Jr.が自由に動けるサーカスのシーンでは山田くんとしょっちゅう行動を共にし、仲の良さっぷりが伺えました。
ちなみにそれぞれが特技を持っていると言う“small but BIG4”なる期間限定ユニットも結成され、パンフレットや公演中に取材が行われた雑誌には形だけではありますが掲載されました。
彼の担当は演技でした。(本人はピンとこなかったよう)
また、1月5日の午前中に開催された錦戸亮さんのソロコンサート(横浜アリーナ)には当日も「DREAM BOYS」の昼夜公演があったにも関わらず『Secret Agent Man』のダンサーを務めた後に山田くん・森本くんと共に帝劇に戻ると言う強行スケジュールもこなしました。
「エンジン」から1年が経った春には日本テレビ系の連続ドラマ「プリマダム」(2006.4〜6)への出演が決定。
中森明菜さんの息子でありプリンシパルを目指すバレエ少年“倉橋遥生”役を演じました。
初めて挑むバレエのレッスン、そしてこれまでに比べて圧倒的に出番が多いお芝居に苦悩し、私生活でも小学校卒業〜中学校入学の時期と重なっていた故恐らく人生の中で1番忙しく大変な毎日を送りました。
その上滝沢さんが新橋演舞場で最年少座長を務めた「滝沢演舞城」(2006.3.7〜4.25)にも撮影がない日に不定期出演を続けていた為、ろくに休む暇などなかったのではないかと思います。
中学校の体育祭が終わった後に現場に向かった事もあったそうです。
しかし沢山の方から差し入れをいただいたり、撮影中にご結婚をされた加藤雅也さんのお祝いでは「僕はまだ結婚とか全然分かんないけど」と言うコメントで笑いを誘ったり、古田新太さんと下ネタで盛り上がって主演の黒木瞳さんを笑わせたり・・・と、辛い事も多々あったでしょうが楽しい現場だったようです。
主要キャスト内では最年少と言う事で、若さあふれるハイテンションで元気な姿で場を和ませて出演者の方にも好印象を抱いていただいたそうで何よりでした。
撮影が無事終了した後には初のソロ・それもオリジナル曲となる『D.N.A』(仮タイトルは『EUPHORIA』)が完成!
7月30日の「Ya-Ya-yah」で初OAされ、大人っぽいロック調の曲も堂々たるパフォーマンスでファンを魅了しました。
夏には「ジャニーズJr.の大冒険!@メリディアン」(2006.8.15〜25)でJr.の単独コンサートに初挑戦。
公演前から街中に貼られていたポスターに“Tap Kids”として掲載されて以来、翌年初旬までこのユニットの一員として活動を続ける事となりました。
海賊のキャプテン“ナカナッカー”役を始めメインもバックも見せ場盛り沢山、この頃から少しずつ仕切り役を担い始めるようになり普段とは違った発声に新たな可能性を感じさせてくれました。
ちなみに、初のソログッズとしてポスターが販売された記念すべき公演でもあります。
10日間1日3公演と言う超多忙スケジュールで、中学最初の夏を駆け抜けていったのでした。
翌月には滝沢さんの実話を基にした主演舞台「One!-the history of Tackey-」(2006.9.5〜28/日生劇場)に不定期出演。
Jr.コンと並行してのリハーサルを行い、滝沢さんの義理の弟と言う大変重要な役どころ(山田くんとダブルキャスト)を熱演し、観客の涙を誘いました。
滝沢さんと2人きりで、そしてたった1人で、ステージに立ち踊るシーンでは「プリマダム」で培ったバレエ色の強い振り付けやキレイなピルエットを堂々と披露。
テーピングをしていた日もありかなり体を酷使していたようでしたが、役に成り切り感情を込めて表現してくれました。
この公演終了直後には二度目のJr.単独コンサートとなる「you達の音楽大運動会」(2006.9.30&10.1/代々木第一体育館)を開催。
大冒険を基軸にしながら、大運動会と言う名の通り会場全体を使ってユニット対抗のリレーやメンバー同士の歌とダンスでの対決で客席を盛り上げました。
二度目の仕切り役(案内人役)ではセンスある声の抑揚の付け方に更に磨きがかかっておりました。
山田くんとの一対一のバトル後に2人で熱唱した『青春アミーゴ』は沢山のファンの心に余韻を残しています。
グッズには初のソロうちわが登場しファンは狂喜乱舞、最終日はSOLD OUTになり売れ行きも好調でした。
10月8日からはバラエティ番組初のレギュラー出演となる日本テレビ系「YOUたち!」がスタート。
毎週二組のタレントさんを迎えて、変わりゆくコーナーを通し約1年間様々な経験しました。
本人考案と言う名目の「YOUバックゲーム」の仕切り・ヘッドスピンに挑戦・ほしのあきさんの谷間に大テレ・物凄く似ていた動物の鳴き真似披露…と、他ではなかなかお目にかかれない姿も見所でした。1番は美味しいものを食べている時の至福の表情だったんじゃないかと思います。
多いとは言えない映り込みの中、素質あるリアクションの良さでファンを飽きさせませんでした。
余談ですが、初期にオンエアされていた学校をロケーションとしたJr.メドレーは最高のクオリティながら予告の隅でワイプ放送と言う酷な扱いを受けたのは残念でなりませんでした。
山田くんと本家の制服を着て披露したミニ“修二と彰”だけでも大画面で見たいと言う気持ちは今も尚持ち続けています。
そして11月には雑誌の取材で念願の海外初進出!
以前から取っておいたパスポートがやっと役立ち、山田くんと共に南国の島ハワイへと向かいました。(現地で他のJr.とも合流)
長時間の飛行機での乗り物酔い・はしゃぎ過ぎた海の岩場での怪我も何のその、プールで遊んだり皆でお風呂に入って裸の付き合いをして楽しい思い出がいっぱい出来たようです。
家族や友人へは勿論ネックレスやウクレレなど自分へのお土産も購入、海外旅行を満喫して無事に帰国しました。
同じ部屋だった山田くんへの呼び名は「山田」から「やまちゃん」に変わり更に交友を深められたようで、それと同時期から2人で雑誌に掲載されることが頻繁になってゆきました。
2007年も年明けから大奮闘。
「2007年謹賀新年 あけましておめでとう ジャニーズJr.大集合 日本武道館 5日間公演」(2007.1.2〜7)と題された3度目となるJr.単独コンサートに出演。
初日にはネックレス&ブレスレットを身に付けて遂にアクセサリーデビュー。
以後もしばらく付けていたものの着替えの際に面倒になったのか徐々にフェイドアウトしていき、雑誌の撮影以外では見られなくなったのは少し残念だったりします。
アダルティな曲で見せる色気や大勢のJr.を従えての下駄ップなどパワーアップしたパフォーマンスもさることながら、MCに果敢に参加していく積極的な姿勢に更なる成長を実感させられました。
また、名ばかりであったJ.J.Expressはお兄さん組と弟組に分けられオリジナル曲を披露し、そのメンバーを雑誌上で“リトリックス”(little six)と名付け高いネーミングセンスも伺えました。
4月からは「ザ少年倶楽部」でサポート役を務める事となり出番も増え、2度目のソロとなるマッチさんの曲『愛はひとつ』を堂々と歌い踊りました。
デビューから欠かす事なく出続けてきたKAT-TUNのコンサートツアー「TOUR 2007 cartoon KAT-TUN II You」(2007.4.3〜6.17)には初日の名古屋で突如お披露目されたJr.の新ユニット“Hey!Say!7”のメンバーとして登場。
これまでは基本的に東京近郊の会場にしか出られなかったものの最終日の東京ドームまでの全公演に出演を果たし、週末は全国を駆け巡りました。
Jr.の人数が少ない為Jr.単独コンを含めても出番は恐らく過去最長、コンサートの案内人を担っておりその度に着替える為最多で計17回ものお色直しを施行。
舞台裏はてんやわんやだったのではないかと思いますが、その分達成感は大きかったはずです。
更にこのツアーの間にも嵐コンや関西Jr.コン等にもゲスト出演を続け知名度を上げてきたHey!Say!7がアニメ「ラブ★コン」の主題歌を収録したCDをリリースする事を6月16日のドームのステージで大発表。(13日の時点で主題歌情報は「別冊マーガレットに」にて漏出)
オープニングアクトとして、収録される3曲をメドレー形式で披露しました。
「デビュー」と言う言葉を使わない表現に困惑を隠せなかったファン以上に本人達が戸惑っていたものの、その場で行われた会見で喜びを表していました。
そんな発表直後の7月には好評につき再演された「滝沢演舞城2007」(2007.7.3〜29/新橋演舞場)に不定期出演。
公の場では2回目となる「タッキー」呼びや「白浪五人男」の頭である“日本駄右衛門”の口上を披露する見せ場が設けられるも時間の都合上1部にしか出演出来ず、「もっと出られるようになりたい」と言う願望を雑誌で語り、どんなに忙しくとも衰えない仕事への意欲を露にしました。
休演日や夏休み・開演前の午前中を利用してCDリリース前から「ミュージックステーション」やラジオなど精力的にメディアへ進出。
めでたく8月1日に初めてのCDとなる『Hey!Say!』(J-Storm)を発売すると週末には4日に東京・5日に大阪で大握手会も開催され、オリコンウィークリーチャートでは見事第1位を獲得。
ギリギリ10日の誕生日前だった為に平均年齢を14.8歳に留め、最年少記録を大幅に塗り替えました。
8月には昨年に引き続き行われた「ジャニーズJr.の大冒険!'07@メリディアン」(2007.8.15〜24)にフル出演。
ドラマ撮影で忙しかった山田くんが出演するか否かにより変わる立ち位置にも臨機応変に対応し、またしてもタフな一面を覗かせました。
翌月には早くも5度目となるJr.単独コンサート「JOHNNYS' Jr. Hey Say 07 in YOKOHAMA ARENA」(2007.9.23&24)を開催。
24日2部にテレビ生中継で発表されるWCバレーのスペシャルサポーターを務める事となるジャニーズ新ユニットに注目が集まる中、1番初めに1人目のメンバーとして紹介され“Hey!Say!JUMP”の一員としてデビューすることが決定!
直後にデビュー曲『Ultra Music Power』を披露、Aメロの歌い出しソロを担当し2年前には「よくわかんない」と言っていた歌に真剣に取り組む様はとても感慨深かったです。
メンバー10人でリハーサルは何度か行っていたものの、レコーディングスタジオで社長の口から本人達に知らされたのは本番3日前の21日と言うHey!Say!7よりも急ピッチで準備を進められていったようです。
その“Hey!Say!7”は小中学生の5人に再編成される事となりました。
記者会見では「急な話ですぐに受け取れなかった」と胸の内を明かすも、発表からわずか13日後に表紙を飾ったDuet・Wink up・POTATO各誌では既にデビューへの意欲を多々語ってくれ気持ちの切り替えの早さに感心させられました。
10月7日からは「YOUたち!」の後番組となる日本テレビ系お昼のバラエティ番組「爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ」にレギュラーとしての出演がスタート。
山田くん・森本くんと架空の家族・平成家の3兄弟としてトークにコントに歌に・・・と奮闘中です。
11月2日に開幕した「ワールドカップバレー2007」ではスペシャルサポーターとして活躍、毎日のように「北京へジャンプ!」と気合を入れ日本の選手達を精一杯応援しています。
そして昨日11月14日、Hey!Say!JUMPのCDシングル『Ultra Music Power』(J-Storm)をリリース。
ジャニーズJr.として様々な活動を経て強く逞しく成長してきた彼は、14歳にしてジャニーズ事務所の新ユニットとして正式なデビューを果たし新たな門出を迎えました。


これほど書いても全然書き足りない、魅力にあふれた男の子です。


家族を愛していて。
滝沢くんにそこはかとない憧れを抱いていて。
事務所の先輩方皆さんを尊敬していて。
親友兼ライバルであるやまちゃんが大好きで。
年上のメンバーに甘えて。
年下の子達を可愛がって。
ファンへのサービスをこれでもかって言うくらいにしてくれて。
家族も仲間もファンも、周囲の人達をとても大切にしている人情の厚い子です。


やんちゃで。
うるさくて。
元気が有り余ってて。
時にメンバーに迷惑をかけることもあるみたいだけれど。
周りを気遣うことができて。
深い思いやりを持っている、あったかい子です。


ファンと言う立場からは彼のほんの一部分しか知り得ることができません。
でも、私は裕翔くんの全部が大好きです。
どこかホッとする穏やかで優しいあの笑顔を見ていると、疑いが生まれることがなくその全てを信じたい、信じよう、そう思えるのです。


ここはその名の通り理想郷のようでありながら、現実世界に確かに存在する私にとって最高の場所です。
再開はいつになるのか、本当に戻って来られるのか・・・まだ分かりません。
いつか胸を張って裕翔への想いを綴れる時が訪れたのなら、お付き合いいただけたら嬉しいです。
見に来て下さっている皆さんには感謝の気持ちしかありません。
本当にありがとうございます!


私は自分のためにこの場所の更新を絶つことを決意しました。
しかし、これからも変わらず皆さんと一緒に中島裕翔くんを応援し続けていきます。
この先もずーっと。
それでは、ここでまたお逢いできる日まで・・・・・



*2006.11.15 夢乃より*

お知らせ

私の我が侭でこの3日間は日記を更新する事だけを続けたので、web拍手に数多く頂いたメッセージへのお返しが出来ませんでした。
それ故今日で一旦お休みと言う形を取るものの、あまり長くは書けないかもしれませんがお返事を差し上げる為だけに今月は後2回過去の日付(9日〜11日の間)にアップをさせていただきます。
web拍手ボタンは11月29日まで設置します。
何度も無駄足をお運びいただかないよう23日と30日の金曜日に更新する事と決めました。
他の日に更新することはありません。
その更新情報は念の為ここに赤字で追記&リンクしますので、ご確認お願いいたします。
また、今回はいただいたメッセージ全文をコピペしたいと思っております。
何か問題がございましたらその旨をお申し付けくださいませ。


それでは、ひとつの節目となる記事をアップします。


○11月23日追記
おひさです!
またまた体調崩れ気味の為、本日予定していた更新は明日に延期させていただきます。ごめんなさい。
去り際に一言・・・
かつんこんDVDは間違いなく買いです。自信を持ってオススメします。
ブックレットに映り込みはなかったのでこちら【TOUR 2007 cartoon KAT-TUN II You(スタンダード・ジャケット) [DVD]】で問題ありません。
是非ともお求めくださいませ!!
寒さが厳しくなってまいりました、皆さんもお体に気を付けてお過ごしくださいね。
ではまた明日やってきます。


●11月24日追記
日付は変わっても24日の意識で…。
あっCDTVが始まるー!
さて、何とか7日から本日分までの「web拍手メッセージレス」を9日分に更新いたしました。【★コチラ★です】
次回最終更新日は予定通り30日です。(ボタン設置は29日終日までとなります)
メールのご返信はもうしばらくお待ちくださいませm(_ _)m


○11月30日追記
ゆうりくんおめでとう☆
と言う事で、またもや日付が変わってしまいましたが25日から29日分までの「web拍手メッセージレス」を10日分に更新いたしました【★コチラ★です】
メールフォームから頂戴したメールへのお返事は昨日完了いたしました。(まだ返信がないと言う方はお手数ですがご一報ください)
滞り気味の携帯メールへの返信はもうしばらくお待ちくださいm(_ _)m


休止から15日経っても尚、こんな私にお付き合いいただいた皆さんに深く感謝しております。
この場所で皆さんに出会えて本当に良かったと、心から思っております。
こんな幸せに満ちた気持ちを教えてくれた裕翔にはKindai1月号の言葉をそのままお返ししたい、君に「一生感謝し続けていく」と。
本当に本当に、どうもありがとうございます。
みんなだいすき!